水質改善し過ぎて魚がいなくなる! 白河の清きに魚の住みかねて・・・
こんにちは、さんちゃんです。
瀬戸内海の工業廃水等による環境問題を解消するため、兵庫県が水質改善に乗り出していましたが、改善し過ぎたために魚がいなくなるという別の問題が発生しました。
そのため、全国で初めて水質改善をストップさせる取り組みをおこなうようです。
水質改善し過ぎて漁獲量が低下!
兵庫県は県内の瀬戸内海で、水質の環境基準を独自に見直す方針を固めた。瀬戸内海は水質改善が進んだ半面、魚介の栄養素となる窒素などの「栄養塩」が減り、漁獲量の減少やノリの色落ちが問題となっている。国の現行基準は窒素の濃度を、工場地帯などを除き主に海水1リットル当たり「0・3ミリグラム以下」としているが、県は「同0・2ミリグラム」という下限基準を加え、一定の窒素濃度を保つ考え。県によると、海水の環境基準に下限を設けるのは全国初という。
出所)「ダイビング級の透明度が災いし不漁? 全国初、兵庫県が水質改善歯止め」神戸新聞NEXT2019年6月3日配信
記事によると、1970年代に水質悪化が問題となり、73年には瀬戸内海環境保全臨時措置法が制定され「美しい海」を求めてきましたが、90年代以降、劇的に改善した結果、近年では魚が住みにくくなり不漁が続いていたとのことです。
そのため、水質改善に向けた政策変換を余儀なくされたようです。
何事もバランスが大切であると考えさせられる良い事例といえます。
白河の清きに魚の住みかねて・・・
江戸時代に腐敗政治をしていたとして失脚した田沼意次(たぬまおきつぐ)と、そのあとにクリーンな政治を掲げて実権を握った松平定信(まつだいらさだのぶ)を指して詠まれた句があります。
白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき
賄賂や不正はあってはならないことですが、あまりにも杓子定規に正論で縛りすぎると逆に窮屈な世の中になってしまい、元のちょっといいかげんな時代が良かったという句です。
あまりにも品行方正、聖人君主ばりのスローガンが幅を利かせると居心地が悪くなり住みにくいというのは、現代にも通ずるところがあります。
環境問題や動物愛護、あるいは皇室や諸外国との関係などについて、あまりにも極端で排他的な意見は澄み切っておりメッセージとしてストレートに伝わりますが、実際にはファジー(あいまい)な部分がないと息苦しさがつきまといます。
職場や学校のトラブルにも極めて敏感に反応されるようになりましたし、TV番組の自主規制やインターネットで正義感を振りかざし不正を徹底追及するような投稿など、身近なところでも見受けられます。
もう少しおおらかな世の中がいいなと感じる今日この頃です。