漫画「キングダム」に学ぶ法律学! 権利と義務の考え方
こんにちは、さんちゃんです。
本日は、大ヒット漫画「キングダム」から法律の考え方について学びます。
(「キングダム」単行本45巻、46巻。ネタバレ注意)
嬴政の「法治国家」発言 そして、李斯による法とは何か?
「キングダム」とは、秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)の若かりし頃のエピソードを描いた原泰久さんの大ヒット漫画です(2018年12月現在、52巻発行、以下続刊)。
嬴政の成長と、もう一人の主人公・信(しん)との出会いから、信が、下僕から将軍へと駆け上がる成長の過程がダイナミックに表現された新感覚の歴史大作漫画となっています。
漫画とあなどることなかれ、ビジネスパーソンにぜひおすすめです。そこには、現代の経営にも通ずるような、ビジョンの大切さ、戦略や戦術の考え方、組織マネジメント、リーダーシップ、などヒントが満載です。
さて、本日紹介するのは、秦国国王・嬴政(えいせい)と斉国国王・王建(おうけん)との会談で、中華七国(当時覇権を争っていた秦、魏、楚、韓、趙、燕、斉の七国)を統一しようとする嬴政が、王健から各国それぞれ異なる文化、社会、制度をもつ七国をどのように統一するつもりかと問われたときのやりとり。そして、そこに同席した左丞相・昌文君(しょうぶんくん)が、現在は投獄の身であるがのちに丞相となる李斯(りし)とやりとりです。
そこから、法律というものの考え方、権利と義務について考察したいと思います。グローバル社会を生きることになるわれわれにとって考えさせられるエピソードでもあります。
嬴政と王健の会談より(第45巻より一部抜粋)
王健「六国制覇は征服戦争そのものではないか」
嬴政「違う 中華統一は新国建国の戦争だ」
「”征服”とは”支配”だ…中略…六国制覇した秦が征服者の体を取れば中華
統一は確実に失敗する 秦人は決して支配者となってはならない」
王健「支配なくしてこの中華七国を一国などできるわけがない」
「多種多様な文化・風習・信仰 これ程複雑に分かれる中華の全人民を同
じ方向に向かせるなど逆にこれまでにない強烈な支配力を持つ者達が上
に立たねば実現不可能だ」
嬴政「その通りだ斉王 この中華統一の成功は全中華の民を一手に実効支配す
るものにかかっている だたそれは絶対に”人”であってはならない!」
王健「人ではないなら何だ!!」
嬴政「”法”だ ”法”に最大限の力を持たせ”法”に民を治めさせる」
「法の下には…中略…王侯貴族も百姓も関係なく皆等しく平等とする!
中華統一の後に出現する超大国は五百年の争乱の末に”平和”と”平等”を
手にする”法治国家”だ」
…中略…
王健「王侯すら”法”の下と言ったか…
…中略…それではもはや”王国”とも言えぬぞ」
嬴政「小事だ」
すごいです。紀元前200何年という時代の話です。それぞれの国がいがみ合い、戦争をしている時代に、国王自らが王ではなく、つまり”人”ではなく”法”による国家観をもち壮大な構想をしていたわけです。秦国が滅ぼした六国を支配するのではなく、新国(新しい国。誤植ではありません)を建立して、そこを法治国家とすると言っているわけです。ある意味では自らの権限を無にする発言でもありますので、そのインパクトは絶大です(その後、”王”よりうえの位として”帝”を名乗るわけですが、それはまだまだ先の話です)。
この会談に同席することになった左丞相の昌文君は、会談終了後に「”法”とは何か」について一人悩むことになります。王様たちの話があまりにも大きな話であったため自分自身では答えが出せません。そして、一人の人物に教えを請いに行きます。それが政敵として投獄していた李斯です。このあたりの柔軟性をみても昌文君もまた器の大きい人物であることを示しています。
それでは、昌文君と李斯のやりとりです(第46巻より。一部抜粋)
李斯「中華を統一できたと仮定しそこで単純に国民が増えたという認識で法作
りに入ると大失敗に終わる なぜか分かるか?」
昌文君「そ……それは新しく増える国民が…それまで戦っていた敵国の人間…
だからだ」
李斯「違う 文化形成が違うからだ …中略… 六国それぞれに文字も違えば
秤も違う 貨幣も違えば思想も違う …中略… ここで逆にお前に一つ
聞こうか 昌文君 そもそも”法”とは何だ?」
昌文君「……法とは刑罰をもって人を律し治めるものだ…」
李斯「馬鹿な! 刑罰とは手段であって法の正体ではない!」
昌文君「…… で では… 法とは何なのだ 李斯」
李斯「”法”とは願い 国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたも
のだ!」
「統一後この全中華の人間にどうあって欲しいのか どう生きて欲しいの
か どこに向かって欲しいのか それをしっかりと思い描け!
それが出来れば自ずと法の形が見えてくる」
そして、昌文君は、罪人となっていた李斯に頭を下げる。国王嬴政の了承を経て、中華統一やその後の国家形成を見据えて李斯を要職へと推薦するのです。
登場人物すべてがかっこいいですね。何度も言いますが紀元前のお話ですからね。
法律を規制の手段ではなくて、どうあるべきかといった理想像を思い描く目的として位置づけているわけです。
なんとなく法律と聞くと、私たちは守らなければならない義務ととらえてしまいがちです。しかし、理想の社会を歩むための権利という側面でもあるんですね。一般に欧米では、そういった権利意識が強いといわれています。たとえば、その法律を作成する政治家を選ぶときなど、少し前のアメリカ大統領中間選挙をみても、その選挙”権”を行使することはもちろん、様々な人たちがメディアを通じて自分の立場を明確にして支持政党や支持者にメッセージを送っていました。
もちろん、文化形成が異なる日本では、あまり政治の話題を口にすることはありませんし、選挙”権”もなんとなく権利というよりは義務のようになっているところがあったりします。
時代の変遷のなかで、私たちが考えるべきこと
そんなことを考えながらキングダムを読むと、新しい時代をつくるのは、今を一生懸命生きている人間であることがよくわかります。
ひとつの時代であった平成が終わろうとしています。これから新しい時代をつくるためには、今を生きるすべての人が法律や政治についてもっとしっかり勉強してより主体的に関わっていく必要があるのではないかと思います。
働き方改革関連法案も少しずつ詳細が明らかになってきました。たとえば、労働時間に関連するものだけみても、一方で公立学校の教師の残業時間を制限する提案や、他方で、医師不足に悩まされている地方において医師の残業時間の上限規制を緩和する提案がでるなど、方向性が正反対のものもそれぞれ提案されています。
また入国管理法の改正案の審議も大詰めを迎えています。文化形成の異なる外国人とどのように国家を形成をしていくのか、その理想を描くことが大切となるのではないかと思います。