漫画「キングダム」に学ぶ制度と実態! 現場優先かルール優先か、単純な二分法ではなく制度と実態の統合・調整が大切となる
こんにちは、さんちゃんです。
漫画に学ぶシリーズ第5弾。「キングダム」に学ぶ制度と実態について解説します。
今回とりあげるは、本作の人気キャラのひとり、王騎(おうき)将軍が信から「六代将軍」の復活について尋ねられた際のエピソードです。
このエピソードをよく知ると、現在話題になっている制度改革である「働き方改革」のゆくえをうらなうことができるかもしれません。
王騎将軍が考える「六大将軍制度」とは
王騎将軍は、キングダム初期の重要キャラで主人公・信に戦い方や将軍像を教えてくれる師匠のような存在です。また、作中で唯一生存している六大将軍でもあります。
六大将軍とは、第28代秦国国王・昭王(主人公である第31代秦国国王・嬴政の曽祖父)により制度化されたものです。
昭王は在位55年のほぼすべてを戦場で過ごしたことから”戦神”とたたえられている人物です。中華全土で戦を繰り広げていた昭王は、六大将軍に対して、それぞれ自由に戦争を始めたり終えたりする絶対的な権限を付与しました。王騎将軍をはじめ「秦の六将」は中華全土で暴れまわっていました。
とはいえ、時代は変わり、作中ではすでに王騎将軍以外の六大将軍は死去しており、ほぼ引退状態にあった王騎将軍を含めて、六大将軍は伝説的な存在として語り継がれる程度でした。
この「六大将軍制度」の復活を上奏(王に直接意見すること)したのが蒙武(もうぶ)将軍です。
上奏自体はうやむやになったのですが、それを聞いていた信は六将制度に興味を持ち、後日、王騎将軍に尋ねたのです。
信「将軍はどうやってなったんですか あの『六大将軍』に」
王騎「ンフフフフ 童信の口から六大将軍が出るとは驚きですねェ よくそんな古いものを知っていましたねェ」
信「王宮で蒙武って奴が言ってた 『六大将軍』を復活させろって」
王騎「呂丞相”四柱”の蒙武ですか ンフフフフなるほど彼らしい発言です しかし六将復活は無理な話です」
信「!?」
王騎「残念なことに今の秦国に『六大将軍』の名に見合うほどの人物は一人もいませんからねェ あなた方は少々『六大将軍』を誤解しているようです かつてこの秦には戦に明け暮れた六人の大将軍がいた 白起(はくき) 王齕(おうこつ) 胡傷(こしょう) 司馬錯(しばさく) 摎(きょう) 王騎(おうき) 数多の戦場を駆け抜け数多の敵を葬った暁――― 近寄るだけで敵は平伏し城を明け渡すほどにその六人の武名は中華全土に響き渡った」
※信の心の声 ”武名が中華全土に響き渡った…!!”
王騎「そこで昭王はさらに我々が動きやすいようにと”六将制度”を作ったのです つまり 六将制度がすごいのではなくてその前に我々六人が桁外れに強かったというわけです ねェ騰?」
騰「ハ! 実のない所に制度を作っても意味がありません」
※騰・・・王騎軍の副官。王騎将軍より絶大の信頼を寄せられている人物
その後、王騎将軍は蒙武の力を認めるも経験不足であることを指摘します。一連の会話のなかで信は王騎将軍が紛れもない天下の大将軍であることに感銘を受け、そのうえで王騎将軍をも超える人物になることを宣言します。
いかがでしょうか。
王騎将軍がいうには、六将制度を復活すれば、かつての六大将軍のごとく活躍できるのではなく、圧倒的な武名に裏打ちされた実力者六名を六大将軍として制度化されたわけです。
副官・騰も、実態のないところに制度だけをつくっても意味がないと発言しています。
働き方改革にみる制度と実態
政府における「働き方改革」の骨子が少しずつ明らかとなってきました。
特に労働時間については、長時間労働の是正、過労死の撲滅、メンタルヘルス対策などの観点とも相まって重要な論点としてさかんに議論されています。
たとえば、残業規制のあり方、勤務間インターバル(終業から次の日の始業までに休まなければならない時間)、月残業時間の上限など、詳細が詰められようとしています。
そのなかで、制度と実態について、ある意味では正反対な案が提示されていますのでそちらを紹介したいと思います。
それは、比較的労働時間に縛りのない専門職である教師と意思の労働時間規制についてです。
教員の残業時間について、月45時間とする案が提示されました。それに対して、現場から実現不可能との声が上がっています(福井新聞2018年12月8日)。教員は授業以外の準備や会議、保護者対応、さらにはクラブ活動等の顧問などどうしても夜の時間帯は土日に活動することが多くなります。このような実態を踏まえると残業時間を月45時間に抑えることは困難であるというのが現場の主張です。
一方で、医師についても夜勤や急患など長時間労働が指摘されている専門職ですが、医師不足が進む地域における医師の残業時間については上限規制を緩和して月100時間とする案が上がっています。
教師と医師とでは仕事の内容が異なるため、労働時間のみを比較する意味はありませんが、制度と実態の関係について、教師のケースでは、実態(実労働時間が長い)よりも制度が優先され、医師のケースでは、実態(医師不足で長時間労働せざるを得ない)が制度よりも優先されていることがわかります。
どちらが正しいというような単純な議論ではありませんが、実態を無視した制度改革は結局のところ形骸化する可能性が高くなりそうです。おそらくさまざまな例外規定や注釈がつくことになると考えられます。
制度が先か、実態が先か、については卵と鶏のどちらが先か、とあまり変わらないところがあります。ただし、実態の伴った制度をつくらないことにはまったく機能しません。同時に制度を軽視しこれまでのどおりの行動様式を続けるだけであれば実態に変化は生まれません。
そのため、制度と実態の統合・調整といった歩み寄りが必要になってくると考えられます。
今回の働き方改革をつうじて、どこまで実態と制度の関係が統合・調和されていくのかについては興味深いものがあります。
実態といっても、勤務体系の実態、労働生産性の実態、長時間労働の実態、そこでの過労死やメンタルヘルスの実態、ワークライフバランスの実態など、それぞれみる角度を変えたり複合的にみるとこれまでと異なったものがみえてきます。
一朝一夕で定着するものではありませんが、「働き方改革」はポスト平成における働き方について、昭和、平成の良いところを伸ばし悪いところを変革していくはじめの一歩となることを期待しています。
ちなみに、制度と実態については、何も国家の法整備だけに当てはまるわけではなく、一つひとつの会社における組織づくりやルールづくり、家庭での役割ルールづくりなどにも当てはまることが少なくないのではないでしょうか。
職場でも家庭でも、実態に即した制度づくり、制度に合わせた行動の変革の両方からの歩み寄りが大切になってくるといえます。