なぜ「働き方改革」に戸惑うのか? 「生き方改革」が語られていないからである!
こんにちは、さんちゃんです。
なぜ「働き方改革」に戸惑うのか?
有給休暇の取得義務化など「働き方改革」関連法案の実質的な施行が4月から開始されます。
これまでもワークライフバランスの推進や副業兼業の奨励などスローガンやアドバルーンはいくつもあがってきました。
そのなかのいくつかはこのブログでも紹介してきました。
正直なところ、戸惑っている人が多いのが実情だと思います。
その理由は単純です。
「働き方改革」は「生き方改革」とセットでないと機能しないという大前提があまり語られていないからです。
たとえば、
●休みの日に何もすることがない
●送料無料、手数料無料などのサービスは当たり前
●食事や買い物、電車遅延などで待たされることを極端に嫌う
●結婚、持ち家、正社員の働き方が当たり前
●家事労働、育児労働は女性(妻)が担当することが当たり前
といった生活をしていないでしょうか。
「働き方」が変化しても「生き方」が変化しなければ両者のひずみは大きくなるばかりです。
生き方改革の第一歩として、休日の効果的な時間の活用方法、過剰サービスへの対応、社会の不寛容さや一億総中流志向からの脱却などについて考えていきます。
休みの日に何もすることがない~効果的な時間の活用方法~
決して少なくないビジネスパーソンがこのように感じていると思います。
休日になってもやることがない。
外出しようにも着ていく服がない。
特に男性で仕事ではスーツや作業着を着用している人によくみられる傾向です。
結局、何もせずに一日家でゴロゴロしていたら休日終わってしまったというパターンです。
対応策としては単純ですが「服を購入する」というものがあります。
最近ほとんど服を買っていない、そもそも衣服に無頓着だという人ほど、ぜひ新しい服の購入を検討してください。
お店に行ってみてもいいですしネットショッピングでもいいと思います。
新しいものを探すときはワクワク感を味わうことができます。
そして、新しい服を着て街中を歩く、たったそれだけのことで気持ちが晴れやかになります。
騙されたと思ってぜひ試してみてください。
送料無料、手数料無料などのサービスは当たり前~過剰サービスの要求は必要か~
生活者としての視点とビジネスパーソンとしての視点で最も考え方が異なるところです。
いまや「送料無料」「手数料無料」は当たり前のサービスになっています。
生活者の視点でみると非常にうれしいサービスです。
なかには送料無料じゃないと商品を注文しない、手数料無料じゃないと使わないという人もいると思います。
しかし、ビジネスパーソンの視点でよくよく考えると、商品やサービスを生産して提供するまでには多数の工程があり、そこにたくさんの人が働いています。
わかりやすいのが、送料無料と表示があっても運送会社やそこで働く人は無償でやっているわけではありません。
送料無料の対価はどこに反映されているのでしょうか。
もしかすると商品の料金に最初から運送料が含まれて表示されているのかもしれません。
結局よくわからないまま割高の値段で買ってしまっている可能性もあります。
送料無料、手数料無料などを今すぐ見直すことはできないでしょうが、サービスはサービスとして、その価値に見合った価格設定をしていくことが大切となります。
たとえばヤマトホールディングスがAmazonから撤退したときに話題になりましたが、物流の価値を再確認するとともにサービスの価値を適正に評価する仕組みづくりを社会的合意のもと形成していくことが大切となります。
(無料など冷静に考えるとありえないような)過度なサービスを求めることは生活者としては良くても、巡り巡ってビジネスパーソンとしては働く環境が悪化することにつながります。
もう慣れてしまったという人も少なくないくらいに、実際にこの20~30年間のあいだに進行してきた問題ともいえますので、大きな転換点を迎えているといっても過言ではありません。
食事や買い物、電車遅延などで待たされることを極端に嫌う~不寛容社会日本~
日本は極めて時間に正確な国です。
時間に正確だからこその負の側面として、レストランやコンビニでの待ち時間、電車などが遅れたときにクレームを言っている人をよく見かけます。
たとえば電車が遅延しているときなど、駅員に詰め寄っている乗客がいます。
ほとんどの場合、詰め寄られている駅員の責任ではないです。
なにごとにも不寛容な社会は、極めて息苦しい社会となります。
「弱い者がさらに弱い者をたたく」といった状況が繰り返されると、失われた30年から抜け出すことは難しいかもしれません。
自分に対しても他人に対しても、もう少し寛容になれる社会的合意が求められているのではないでしょうか。
ちなみに、日本は時間に正確といいましたが、必ずしもそうではありません。
会議やスピーチ、その他の行事において、5分の遅刻には厳しく接するのに30分の延長を当然視している人は少なくありません。
開始時間には極めて厳しくても終了時間には極めてルーズという特徴があります。
時間に対するこの考え方を変えていくだけでも、生き方、働き方の両方にとって余裕が生まれるのではないでしょうか。
結婚、持ち家、正社員の働き方が当たり前/家事労働、育児労働は女性(妻)が担当することが当たり前~一億総中流志向は過去の遺産~
これらのことは世代間で大きく考え方が異なるかもしれません。
極めて多様な価値観が混在していますし、正解のない問いかけでもあります。
結婚をしない人も増えていますし、離婚も増えています。
昭和の時代と比較して離婚をする事への抵抗は小さくなっています。
さらには同性婚などもあり、新しいパートナーシップのかたちが模索されています。
住居については、地震や大雨など自然災害の発生、持ち家への考え方として資産価値や投資対象とみなすか、などこれまでも持ち家と賃貸の比較は繰り返し実施されてきました。
近年では、究極のミニマリスト、アドレスホッパーなどと呼ばれる「家を持たない生き方」が紹介されることもあります。
フリーランスなど、仕事はスマホで完結、職場はシェアオフィス、住居はホテルやインターネットカフェ、あるいは全国を旅行しながら生活するといった生き方、働き方です。
実施している人はまだまだ少数ではありますが、新しい生き方・働き方のひとつの形態といえます。
また、そのことは正社員雇用についての考え方、結婚やその後にくる家事や育児についての考え方にも影響してきます。
ここでの論点は次回以降のブログで書いていきます。
「どのように働くか」の前に「どのように生きるか」を考える時代へ~
昭和から平成にかけて働くことと生きることの対応関係が大きく変わってきました。
昭和の時代であれば働くことは当たり前の時代でした。
男性は正社員として長期雇用、女性は正社員として働いていても結婚を機に寿退社、出産育児を担うことが当然視されてきました。
生活のために働くという考え方も特別疑問に持たれるようなことはなかったように記憶しています。
しかし平成の30年間で働き方は大きく変わってきており、それにあわせてライフスタイルも多様化しました。
「一億総中流」という状況ではなくなり、標準家族、標準世帯などといった表現も聞かなくなりました。
ある意味では、働き方に振り回されながら生き方を模索してきた時代といえます。
そこにきて「働き方改革」関連法案により、またまた働き方に大きな変化が訪れることになります。
これからの20~30年でどのように変化するのかは誰にも予想できない状況です。
であればこそ、働き方に振り回されるのではなく、自分自身の生き方について真剣に向き合ってみることが大切になってくるのではないでしょうか。